Death March
最近第2版が発売されたのを機に、タイトルが気になった本『デスマーチ ~ ソフトウェア開発はなぜ混乱するのか』を読んでみました。デスマーチというのは、プログラマとかSEとか、コンピュータ関係の職業に就かれている方なら耳にタコができるくらい聞いている、そして多くの場合は体験されている(笑)かと思いますが、馴染みがない方に簡単に説明しておくと、その成功例がいわゆるプロジェクトXみたいなもので、失敗する可能性が非常に高い『えいやっ』でなんとかする類のプロジェクトのことです。
以下はこの本を読んでみた感想です。
まずこの本の全体についてですが、細かい内容が部分部分にでてくるため、なかなか頭の中に内容が染み込まない類の本だと思いました。内容の進行として、デスマーチがどのようにしておこるか、そしていかにそれから生き延びるかというプロセスを核にしているのですが、そのシチュエーション事例が箇条書きで、読破後に覚えていられるようなものではありません。
ということで、この本を読んで『そんなこともあるある』と頭の中の想像力を豊かにするのが良いのではないかと思います。実際筆者の狙いもそのようなところにあるような気がします。その証拠として、各章の末尾に膨大な参考文献があげられており、より深い内容への興味がこの本から得られれば、ということなのだと思います。
それでは、内容について軽く触れてみたいと思います。
僕が面白いと感じた視点は2つほどあります。1つは『デスマーチが常態化している』ということ、もう1つは『プログラマ(技術者)も政治とは無縁でいられない』ということです。
まず1つ目の『デスマーチが常態化している』という視点なのですが、なんとも矛盾めいた面白い視点だと思います。デスマーチがデスマーチであるのは、本来は納期や金銭、人月が通常のプロジェクトに比べ残酷なまでに削られた非常なプロジェクトであるが故なのに、それが常態化してきている、と筆者は述べているのです。これはITの技術進歩が異様に速いこと、そして政治的な判断をする人たちにとってITが魔法の杖のようなものと考えられていることなどと無縁ではないのでしょうが、実際デスマーチには及ばなくともそれに近いプロジェクトが日常化しているようです。
筆者はこのような視点に基づいて、デスマーチからいかに生還するかを大変重視しています。NHK大河ドラマではないのですが、『お命の持ち帰りこそ、功名の種でございます』ということなのでしょう。常態化するデスマーチに対応するため、おそらく交代要員はたくさん控えているのです。討ち死にしたところで他の誰かにとって代わられるだけであり、生き残ることこそ本人にとって最善の選択なのです。そのために、立ち向かっても死なないように心がける必要がある、加えて本当に死にそうになったら逃げることを考えるべきだと筆者は説いていました。
このことは普段から思っていても、かなり強く気にしていないと実行できないことでしょう。そういった意味で非常に刺激的な視点であると思います。
もうひとつの『技術者も政治とは無縁でいられない』という視点ですが、常態化するデスマーチにかかる制約条件をいかに認識し、それを緩和するかという話です。
実際何をするにしても政治的判断というのはあるもので、残念ながら職人気質で世間は渡ってはいけないようです。少なくとも政治的に負けさえしなければ(あえて勝ちにいく必要はない)、貧乏くじを引かされずに済むというわけです。デスマーチ環境下では特に人間関係がギクシャクするでしょうし、誰かをスケープゴートにすることも時たまあるように思います。そういうわけで、嗅覚を鋭くしておくことが必要という点に同意をしたいと思います。
最後に、この本を読んだことによって得られた、デスマーチに対する僕の意見を述べて終わりにしたいと思います。
本の最後の方になって、実際にデスマーチがはじまる前に、そのシミュレーションを行うことは非常に有意義ではないかということを言っていますが、実際そのとおりだと思います。このことからわかるとおり、常に様々な状況を想定しておくことは非常に大事だと思います。実際、登山をするときは、常に遭難の危険を意識する必要があります。
デスマーチを想定の範囲内に収めることができたら、勝利は目前なのでしょう。そして想定外のことが起きた場合は、いわゆる腕の見せ所です。デスマーチの最終的な成功の可否を決めるのは、想像力、Creativityということで結論づけたいと思います。
08:49 fenrir が投稿 :
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