September 03, 2006

時をかける少女

個人的に話題の映画『時をかける少女』を観てきました。回りの評価がそれなりのもの(Yahoo!の評価で現在4.7/5.0)で、さらに原作が40年前からの折り紙つきなので、外れるわけがありません。予想通り非常に面白い作品でした。
作品全体についていうと、初のアニメ化によって原作の面白さを余すところなく、そしてそれを超えてビジュアルで表現することに成功したのではないかと思います。タイムリープするシーン(時間の帯から帯へと落ちこんでいく)とか、時間を飛んだ後のゴロゴロ(笑)、そしてとにかく主人公が走りまくるあたりがとても個人的にはツボでした。

しかしながら、この作品、原作を忠実に再現したものではありません。現代風に新たに再構成されたシナリオが非常によくできていると思いました。
今回はそのシナリオについて感想をつらつらと書いてみようかと思います。以降、激しくネタばれの可能性があるので、回避されたい方は読まないでください(笑)。

シナリオの感想を一言でいうなら、とても切ないなぁ、というのが正直なところです。ネガティブイメージとしての切ない、というよりかは何か心に引っかかるものがあるような切なさでした。もしかしたら、切ないという表現自体に問題があるのかもしれません。
その引っかかりというのは原作の小説と今回の映画版とで決定的に異なっている部分によるものだと思います。

時をかける少女 〈新装版〉

僕はまず原作にあたるのが好きなので、筒井康孝の原作小説『時をかける少女』を事前に一読していきました。タイムリープ、人物設定などの基本路線は、原作と今回の映画版でほとんど同じです。
では何が決定的に違うかというと、物語の結末です。原作では好きになった男の子が未来に帰る際、現代に残る女の子の記憶を消して未来に帰るという設定です。つまり現代に残された女の子には、もう何が起こったのかぼんやりとした感覚しか持ち合わせていません。
一方の映画版は未来に男の子が帰る際、女の子の記憶を消しません。しかも男の子は『未来で待っているから』というセリフを残して別れています。『未来』が人一人の人生を超えたずっと先の未来であろうにもかかわらず。

記憶が消されない映画版の結末は果たして結末としてどうなのかは、意見が人によって別れるところだと思います。記憶はまた会えるという希望を思い起こす為のものでハッピーエンドだということもあれば、もう会えないという悲観に繋がるスパイス的な最後として効いているんじゃないか、とか、これは好みの問題だと思います。

しかしながら、映画版であえて原作を変えてまで記憶を消さない結末を設定したところには非常に興味を掻き立てられます。消さなかった、というよりは、消してはいけなかったのではないでしょうか。
現代社会では実に記憶というものが何でも簡単に操作できてしまうような気がします。それもこれも記憶を情報として扱うことができるようになったおかげで、例えばインターネットの発達で、地理的に遠く離れた他人とも記憶を断片的であれどやりとりすることができます。またデータという形で自己の外部に大量の記憶を蓄えることも可能です。逆を言えば記憶を完全に消すまではいかなくとも、別の大量の情報によって自己の記憶を埋没させられてしまう可能性に、現代人は常に晒されているのではないでしょうか。
そのような中で、『好きになった男の子の記憶』というのは、簡単に消してはいけない記憶に違いありません。記憶を消してしまえば、もはやそれは他のたわいもない記憶と同程度の扱いになってしまうことでしょう。記憶を消さなかったことが、作品自体を記憶に残す為のアクセントになっているのではないでしょうか。

原作小説本の最後には、このような文章がありました(ところどころ中略しています)。

記憶と結びついた感情というものを設定したとき、ひとは何とでもその感情を説明することができるものだ。すこし誇張していうならば、昔からの知り合いで腐れ縁なのだとか、実はずっと好きだったとかの、いわば自分に都合のいいストーリーを、記憶という対象化された過去の時間の量的なかたまりに重ねてしまうことができる。
しかし芳山和子(注:原作の女の子の名前)は、出会ってからわずか1ヶ月に過ぎないと説明されてしまう。さらにケン・ソゴル(注:原作の未来人の男の子の名前)の愛の告白が、和子を動揺させる。
いろいろな由来や理由を求める愛は、もはや生き延びてしまった「大人」のそれであって、この和子の愛の初源的な世界とは無縁である。~「時をかける少女」の文彩(江藤茂博)

映画版では『純粋な感情』よりも『記憶』を優先したということなのでしょう。原作小説から40年が経ち、色々と時代背景が変わったことと思います。大切な自己の記憶を自分の中に留めておくことが困難な現代人が、この映画の作品背景として巧みに活用されていると思います。それが感想で述べた切なさの原因と結論づけてみたいと思います。

23:47 fenrir が投稿 : 固定リンク | | このエントリーを含むはてなブックマーク | この記事をdel.icio.usでブックマーク | トラックバック
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